芋を食うと

多少のことでは動じなくなった。
いや、それは間違いでより大きな刺激を受けないと感じなくなってしまった。
それは人間恐怖症といった多感すぎる感覚がもたらす恐怖とは別に、
何も感じないという虚無感をもららすのである。
まぁ、刺激多き社会のなかで小さなことでいちいち大げさに感じてしまうことは、
ストレスでしかなく社会に適合してきたのかもしれないと考えることもできる。
僕自身もそろそろ社会へ出て行こうかと考えているので丁度いいのかもしれないが、
性格上もっと大きな刺激へと向かうのは間違いない。
これまでは、刺激が大きすぎるから手を出さずにいたのであって、
それが丁度いい刺激になれば手を出すに違いない。
より大きな刺激を求めることはいったいどういうことなのか分からないが、
執着地点が見えない到着できないものだと分かっているのでは甚だ空しくもある。
今はもう空しいとか感じていないが、刺激がなくなったらどうするんだという疑問は、
残り続けるのだろうな。